言葉の中に残る下駄  シリーズ「mizutori」とは... 【第五十七話】

言葉の中に残る下駄  シリーズ「mizutori」とは... 【第五十七話】

第五十七話 言葉の中に残る下駄   「下駄を預ける」 「下駄を履かせる」 「勝負は下駄を履くまで分からない」 「高下駄を履く」 こんな言葉を、一度は耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。 では、 「下駄の雪」 「下駄の歯で旅をする」 この二つの意味はご存じでしょうか。 実は、日本語には下駄にまつわる言葉や慣用句がたくさん残っています。 それだけ昔の日本では、下駄が暮らしの中で身近な存在だったということなのでしょう。 まず、 「下駄を預ける」。 これは、物事を相手に一任すること。 下駄を預けてしまえば、自分では自由に動けません。 そこから、安心してすべてを任せるという意味で使われるようになったと言われています。 次に、 「下駄を履かせる」。 これは、数字や評価を少し上乗せすること。 下駄を履けば、実際より背が高く見えます。 そこから、実際より良く見せたり、多く見せたりする意味になりました。 「高下駄を履く」 という言葉もあります。 昔の高下駄は、普通の下駄より歯が高く、履けば自然と目線も高くなります。 そこから、実力以上に自分を大きく見せたり、実際以上に立派に見せたりすることを表すようになりました。 そして、 「勝負は下駄を履くまで分からない」。...
もう手に入らない一本歯下駄 シリーズ「mizutori」とは... 【第五十六話】

もう手に入らない一本歯下駄 シリーズ「mizutori」とは... 【第五十六話】

第五十六話 もう手に入らない一本歯下駄 先日、下駄を履いてみたいというお客様が店頭にいらっしゃいました。 その方が思い描いていたのは、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」が履いているような昔ながらの二枚歯下駄です。 けれどお話を伺うと、足に少し悩みをお持ちでした。 土踏まずと呼ばれる足裏のアーチがほとんどなく、歩いているとすぐに足裏が痛くなってしまうそうです。 アーチには、歩行時の衝撃を吸収したり、体重を分散したりする役割があります。 そのため、シューズに比べてかたい木製の履物である下駄は、きっと履けないだろうと半ば諦めていらっしゃいました。 それでも、 「mizutoriなら履けるかもしれない」 そんな期待を持って、足を運んでくださったのです。 まずは、mizutoriの「げた物語」や「茶人」に足を入れていただきました。 けれど残念ながら、すぐに足裏が痛くなってしまいました。 しばらく試していただきましたが、痛みは変わりません。 下駄への憧れはあるけれど、やはり自分の足には難しいのかもしれない。 そんな空気になっていました。 その方は昔ながらの歯のある下駄がお好きだということでした。 そこで、 「せっかくですから、試しに履いてみますか」 と、たまたま夫が私物として持っていた一本歯下駄をお見せしました。販売している商品ではありません。 ただ、一本歯下駄は竹馬に乗っているような感覚のある、面白い履物です。 私自身もこの一本歯下駄を履いた時の、何とも言えないユニークな感覚が忘れられず、ぜひお客様にも試していただきたいと思ったのです。 その方は興味深そうに足を入れ、ゆっくり歩き始めました。 すると、 「これは足裏が痛くないです」 と、嬉しそうにおっしゃったのです。 そして、 「もし同じものがあれば欲しいです」 とおっしゃいました。 そこで私は、その一本歯下駄を購入したお店の情報を改めてご連絡することにしました。...
温故知新 ―試作の山は宝の山?― シリーズ「mizutori」とは... 【第五十五話】

温故知新 ―試作の山は宝の山?― シリーズ「mizutori」とは... 【第五十五話】

第五十五話 温故知新 ―試作の山は宝の山?― 工場には、たくさんの試作品があります。 新しい商品を考えるたびに、試作品をつくります。 鼻緒の色を変えたり、形を変えたり、素材を変えたり。 一度で思い通りのものができることは、ほとんどありません。 少し変えては試し、また少し変えては試す。 そんなことを繰り返しながら、商品は形になっていきます。そして商品になるものもあれば、商品にならないまま終わるものもあります。 そのため工場には、試作品や型紙が少しずつ増え続けています。 正直に言うと、置き場所には困っています。 「もう使わないなら捨てればいいのでは」 と思われるかもしれません。 けれど私たちにとって、試作品は簡単に捨てられるものではありません。 なぜなら、それらはmizutoriが積み重ねてきた歴史であり財産だからです。 何十年も前につくった台を引っ張り出してきて、 新しい商品のヒントにすることもあります。 昔の配色から学ぶこともありますし、技術的な工夫が参考になることもあります。 今考えていることを、実は何年も前に誰かが試していた。 そんなことも珍しくありません。そして過去をたどると、 「なぜ商品化しなかったのか」 という理由が見えてきます。 当時は時代が早すぎたのかもしれません。 材料がなかったのかもしれません。 技術的に難しかったのかもしれません。 あるいは、その時は必要とされなかっただけで、今なら形にできることもあります。 過去を知ることで、今やるべきことが見えてくることがあります。 だから昔から、 「試作品と型紙は必ず残しておけ」 と言われてきました。 実際に工場には、ずいぶん前につくられた試作品や型紙が今もたくさん残っています。...
下駄で「神経衰弱」⁉ シリーズ「mizutori」とは... 【第五十四話】

下駄で「神経衰弱」⁉ シリーズ「mizutori」とは... 【第五十四話】

第五十四話 下駄で「神経衰弱」⁉ 工場に木地が届くと、mizutoriではちょっとした「神経衰弱」が始まります。 mizutoriの下駄やスリッパには、マホガニーや静岡県産ひのきなど、天然の木を使っています。 天然木なので、ひとつとして同じ木目はありません。 お店やウェブサイトで商品をご覧いただいた時、木目をじっくり見る方はそれほど多くないかもしれません。 けれど私たちのものづくりには、実は隠れたこだわりがあります。 それは、左右の木地の柄をそろえて、一足のペアにすることです。 木地が届くと、まずはじっと目を凝らして、左右でぴたりと木目が重なる相方を探します。 まるで神経衰弱です。 同じ柄同士が見つかったら、離れ離れにならないように番号を振ってセットにします。 その中には、どうしてもぴったりの相手が見つからない木地もあります。 そんな時は、無理やり他と組み合わせたりしません。 一旦保留にして、また次の検品で届く木地の中から、運命の相手が現れるのを待ちます。 実はこの柄合わせ、「two piece」という、つま先とかかとの二枚の木板をつないだ商品では、さらに大変です。 左右を揃えるだけではありません。 同じ足の、つま先とかかとの木目まで、自然につながるよう揃えています。 一足の中にある木板は、全部で四枚。 そのすべての木目が、美しく調和するように組み合わせています。 私たちのものづくりは、多くの工程を職人たちがつなぐ分業制です。 途中で外注さんへ送り、加工をお願いすることもあります。 もちろん、離れ離れにならないよう番号を振って送り出します。 けれど時には、何かの手違いで、パートナーが入れ替わって戻ってくることもあります。 お客様が気づかれない部分かもしれません。 けれど、そこはmizutoriのこだわりです。 戻ってきたものは、製造ラインへ回す前にもう一度確認します。 もしズレていたら、再び正しい相方を見つけて組み直します。 効率だけを考えるなら、届いた順に左右を組み合わせた方が、ずっと早く作れます。 相方を待ったり、もう一度探し直したり。...
私と工場 シリーズ「mizutori」とは... 【第五十三話】

私と工場 シリーズ「mizutori」とは... 【第五十三話】

第五十三話 私と工場 小さい頃、工場は私の遊び場でした。 当時はまだ、今のように下駄ではなく、サンダルやシューズの中底をつくっていた時代です。 工場の中には、「ボール」と呼ばれる畳二畳分ほどある厚紙のような材料が、あちこちに積み上げられていました。 高さもさまざまで、その上によじ登ったり、高いところから低いところへ飛び移ったり。 今思えば危なかったと思いますが、当時の私にとっては、最高のアスレチックでした。 ↑:姪っ子たちが小さかったころ、会社探検をしているところ 工場には、サンダルの底ゴムを削る機械もありました。 そのゴムの削り粉を集めては、通路の土を掘り、ビニールを敷いて水をため、その上に削り粉を浮かべて、落とし穴を作ったり。 工場の庭にはたくさん植木もあったので、木の実や葉っぱを採ってきて、石で潰しながら漢方薬屋ごっこをしたり。 周りにあるものすべてが、遊びになっていました。 そんな環境で育ってきたので、遊びながらも自然と、工場の中で行われている仕事を見ていたのだと思います。 少し大きくなった頃には、簡単な仕事を頼まれることもありましたが、子どもながらにやるべきことがわかっていた気がします。 きっと遊びの延長線上に、仕事があったのだと思います。 今の私なら、子どもが材料の上を飛び回っていたら、間違いなく怒ると思います。 「危ないからやめなさい!」 と100%言うでしょう。 それに、材料とはいえお客様に渡るものですから、その上に乗って遊ぶなんてありえません。 もちろん、当時も注意はされていましたが、働いていたおじさんやおばさんも、「絶対に遊ぶな」という強い感じではなく、どこか見守ってくれているような雰囲気がありました。 きっと昭和の時代だからこその、おおらかな空気だったのかもしれません。 ↑:工場で働いてくださっていたスタッフさん 家族みんなで力を合わせて家業をしていくことも、当たり前の時代でした。 子どもだって、手が足りなければ仕事を頼まれます。 配達にもついていって、荷下ろしを手伝うこともありました。 そしてそのご褒美として、帰り道にある屋台のラーメンを食べさせてもらえるのが、何よりの楽しみでした。 時代も変わり、工場も変わり、働く人も、そして私も変わりました。 工場も一部リフォームされ、庭の植木も以前より減り、子どもの頃の景色とは少しずつ変わっています。 それでも、子どもの頃に感じていたあの家業ならではの空気感は、今もどこかに残っている気がします。 ↑:先代と当時飼っていたコタロウ@旧事務所前...
mizutoriの職人 —よっちゃん— シリーズ「mizutori」とは... 【第五十二話】

mizutoriの職人 —よっちゃん— シリーズ「mizutori」とは... 【第五十二話】

第五十二話  mizutoriの職人 —よっちゃん— mizutoriには、「よっちゃん」というベテランの職人がいます。 今年83歳。 けれど工場では、彼の年齢を意識することはほとんどありません。 時短勤務になってからも、気づけば定位置に座っていて、段取りよくシャキシャキ手を動かしている。 私のかなり古い記憶の中にも、よっちゃんはいます。 先代社長の友人でもあるので、私が生まれる前からずっと身近にいた存在です。 もともと靴業界にいて、履物づくりに携わって60年以上。 下駄づくりの世界に入ってからも、数十年になります。 父と年齢も近く、尊敬する履物づくりの大先輩です。 偶然にも、私と誕生日・血液型が同じということもあり、私にとっては気の置けない相談相手でもあります。 これまでのmizutoriの商品開発では、よっちゃんがいなければ生まれなかった商品がいくつもあります。 主に担当しているのは、しずおか産ひのきを使った商品です。 人気の「ひのきのはきもの」や「two piece」も、よっちゃんがいたからこそ形にすることができた商品です。 同じ履物といっても、下駄とスリッパではまったく別のものです。 しかもプロのデザイナーと組んで商品をつくるとなると、細かな条件もたくさんありました。 履き心地も大切にしながら、デザインも成立させる。 時には、「本当にできるのだろうか」と思うような、無理難題に感じる依頼もあります。 そんな時、私たちを支えてくれるのが、よっちゃんの圧倒的な経験と知識でした。 そしてもうひとつ、 よっちゃんには工場内の誰にも負けない探求心があります。 答えが見つかるまで、考えることをやめません。 何かお願いすると、 「いやだ」 「もうわかんねぇ、無理」 と、一度は必ず渋る素振りを見せます。 けれど、その言葉とは裏腹に、たいてい頭の中ではすでに次の方法を探し始めています。...
もし下駄屋に生まれていなかったら シリーズ「mizutori」とは... 【第五十一話】

もし下駄屋に生まれていなかったら シリーズ「mizutori」とは... 【第五十一話】

第五十一話 もし下駄屋に生まれていなかったら 地場産業である履物工場に生まれ、ずっとこの仕事を見て育ち、今では三代目という立場になりました。 けれど時々、ふと不思議に思うことがあります。 もし自分がまったく違う環境で生まれ育っていたとしても、私は日常で下駄を履いていただろうか、と。 そもそも私は、下駄を履くことが特別ではない環境で育ちました。 家族が履いていて、工場があって、その風景がずっと身近にありました。 だからきっと、なんの躊躇も疑問もなく、下駄を履いてきたのだと思います。 (写真は水鳥工業2代目の父_足元は「茶人」) 代々、心地よい履物づくりにこだわってきたこともあり、mizutori下駄の心地よさをもっと多くの方に知っていただきたいという思いも、気づけば自然と自分の中にありました。 けれどもし、まったく違う人生だったら。 履物に、ここまでこだわりを持っただろうか。 下駄に、ここまで興味を持っただろうか。 これは今の自分には、きっと分からないことです。 ただ、だからこそ考えることがあります。 もし下駄に対する思いがゼロ、いや、もっと言えば、人生の中で「下駄」を考えたことすらない方なら、どういう経緯で興味を持つことになるのだろうか、と。 出会う機会がなければ、きっと、一生mizutoriに辿り着くことはないでしょう。 それは、百貨店の催事かもしれませんし、SNSで偶然見かけることかもしれません。 誰かからの紹介かもしれませんし、それぞれに違った出会いの瞬間があるはずです。 実際にご購入いただいた方が、どんなきっかけで出会い、どんな思いで購入されたかを教えてくださることがあります。 その中で驚いたのが、旅先で偶然、mizutoriを履いている方を見かけて、「あれはどこの下駄だろう」と気になり、探してくださった方がいたことでした。 そんな出会い方もあるんだ、と嬉しさを超えて感激しました。 そしてもうひとつ、興味深いと感じることがあります。 最初に出会ってから、すぐに購入ではなく、数年越しに選んでくださる方がとても多いことです。 「2〜3年悩みました」 という方もいれば、 「10年前から気になっていて、やっと今年買えました」 という方もいらっしゃいます。 こうしたお話を聞くたび、下駄は一般的にはまだ、特別な履物なのだと感じます。 その距離を少しずつ近づけていくことが、もっと日常に寄り添うための鍵なのかもしれません。...
mizutoriをつなぐ夫婦の話 シリーズ「mizutori」とは... 【第五十話】

mizutoriをつなぐ夫婦の話 シリーズ「mizutori」とは... 【第五十話】

第五十話 mizutoriをつなぐ夫婦の話 先日、5月16日放送予定のNHK「ウイークエンド中部」の撮影をしていただく機会がありました。 これまで、テレビやラジオの出演は、専務である夫のジョナタンか、広報担当のスタッフが対応していました。 その理由はとても単純で、社長である私は、極度のあがり症だからです。 さらに言えば、自分の中の全盛期からかなり増量してしまったこともあり、誰が見るか分からないテレビに、今の自分を映す勇気がなかなか持てませんでした。 今回の取材テーマは、夫が母国から持ってきた「宝物」についてのお話でした。 一見、私が出る場面はなさそうだったのですが、夫が日本へ来た理由をたどっていくと、どうしても結婚や、下駄工場を継ぐ話につながります。 そんな流れもあり、今回は夫婦そろって取材を受けることになりました。 生放送ではありませんが、やはり撮影は緊張します。 夫が出演しているだけでも、どこか保護者のような気持ちでそわそわしてしまうのに、自分も一緒となれば、もう何を話したのかよく分からなくなるほどでした。 けれど、インタビューを受けながら昔のことを振り返っているうちに、少しずつ緊張がほどけていきました。 「ああ、そんなこともあったな」 と、懐かしく思い出す時間でもありました。 三代目として下駄工場を継ぐことを決めた私のために、すべてを置いて日本へ来てくれたこと。 はじめてmizutoriの下駄を履いた夫が、そのフィット感に感動し、「このまま走り回れそうだね」と言ってくれたこと。 そしてその時、夫と一緒なら、この下駄を世界中に広げていけるかもしれないと、思ったこと。 普段、目の前の仕事に追われていると、忘れそうになってしまう気持ちがあります。 けれど今回の撮影は、そんな原点のような思いを、あらためて思い出させてくれる時間になりました。 実際の放送時間は、ほんの数分かもしれません。 それでも、mizutori下駄の背景にある、私たちの日々の一部分を、少しでも感じていただけたらと思います。 中部エリアでの放送となりますが、もしご覧いただける地域の方がいらっしゃいましたら、見ていただけたら嬉しいです。 〈番組情報〉 番組名:NHK名古屋「ウイークエンド中部」    内コーナー「世界のお宝」放送予定日:2026年5月16日(土)放送時間:朝 7:30〜8:00 放送地域:愛知県・岐阜県・三重県・静岡県・石川県・福井県・富山県
下駄の音とともに シリーズ「mizutori」とは... 【第四十九話】

下駄の音とともに シリーズ「mizutori」とは... 【第四十九話】

第四十九話 下駄の音とともに 下駄で歩くと、カンカン、コツコツと、木ならではの音が響きます。 この音に対する感じ方は、人それぞれかもしれません。 私自身、この音に対する印象は、これまでの人生の中で大きく変わってきました。 まだ学生の頃、少しでもmizutori下駄を広めたいという思いから、通学に下駄を履いていた時期がありました。 地下鉄を乗り継いで学校に通っていたのですが、慌ただしい時間帯に足早に駅の階段を上り下りすると、その音が構内に大きく響きます。 カンカン、コツコツと響く音に、行き交う人がふと足を止め、音の出どころを探すようにきょろきょろと視線を動かし、やがて私の足元に目が集まる。 広めるという意味では大成功だったのかもしれませんが、当時の私はそれが少し恥ずかしくて、なるべく顔を隠すようにして、下を向いて歩いていました。 周りの同級生は、流行りの厚底靴やハイヒールのサンダルを履いている中で、下駄は明らかに異質な存在でした。 それでも、mizutoriを知ってもらえたらと思い、自分にできることとして履き続けていました。 今となっては、懐かしく笑える思い出です。 それから長い時間が経ち、今では、下駄が一番しっくりくる履物になりました。 どうしても履けない場面以外は、ほとんど毎日履いています。 気づけばもう、人生の半分以上をこの音の中で過ごしています。 そしていつのまにか、この下駄の音は、心地よいものへと変わっていました。 歩くたびに響くコツコツとした音に、どこか安心するような感覚さえあります。 今では、遠くから聞こえる足音で、mizutoriの下駄かどうかがなんとなく分かるようになっています。 音に対する感覚もまた、履いていく中で育っていくものなのかもしれません。 数年前、息子がまだ幼稚園くらいの頃のことです。 スーパーや街中で、少し目を離した隙にどこかへ行ってしまうことがありました。 けれど、彼が歩き始めた頃からずっと下駄を履かせていたので、遠くから聞こえる足音を頼りに、居場所を見つけることができました。 カンカン、コツコツと響く音が、息子の居場所を教えてくれる。 そんなふうに、思いがけないところで役に立つこともあるのだと、そのとき初めて気づきました。 かつては少し恥ずかしいと感じていた音が、今では心地よく、自分の中で安心できる音になっています。 下駄の音は、ただ響くだけのものではなく、その人の時間や記憶とともに、日々の風景に色を足してくれるものなのかもしれません。 足元から生まれる音とともに、これからも思い出を重ねていけたらと思います。
履き心地は育っていくもの シリーズ「mizutori」とは... 【第四十八話】

履き心地は育っていくもの シリーズ「mizutori」とは... 【第四十八話】

第四十八話 履き心地は育っていくもの 店頭で下駄をお試しいただいているご様子に接していると、履物の心地よさは、一言では表しきれないものだと感じることがあります。 足の形は人それぞれで、同じものはひとつとしてありません。 だからこそ、一定のかたちでつくられている履物が、本当の意味で心地よくなっていくのは、履いていく時間の中で少しずつ育まれていくものなのかもしれません。 実際に店頭では、履いた瞬間に「気持ちいいですね」と笑顔になられる方がとても多くいらっしゃいます。その嬉しそうなお姿を拝見していると、こちらまで少しほっとするような、そんな気持ちになります。 木の台の安定感や、鼻緒のやわらかさ、足をのせたときの自然な感覚。 そうしたものが重なって、最初の一歩から心地よさがすっと伝わるのだと思います。 けれど、その履き心地は、そこで終わるものではありません。 以前、下駄をご購入いただいたお客様が、しばらくしてからふらっとお店に立ち寄ってくださいました。 「最初もよかったんですが、履いているうちに、だんだん自分の足に合ってきた気がするんです」 そう話してくださったのが、とても印象に残っています。 履き始めたときの心地よさと、履き続ける中で深まっていく感覚。 その両方があってこそ、下駄の履き心地なのかもしれません。 はじめのうちは少し意識していた足の動きも、履いていくうちに自然と馴染んでいきます。 鼻緒のあたり方や、足裏に伝わる感覚も、少しずつ変わっていきます。 気がつくと、無理なく歩けるようになっている。 そしていつのまにか、一番楽な履物として毎日のように選ぶようになっている。 そんな変化に、あとから気づくこともあります。 天板の木も、履いていくうちに少しずつ自身の足裏のかたちに馴染み、鼻緒も足の動きに合わせてやわらかくなっていきます。 そして何より、履く人自身の感覚もまた、少しずつ下駄に合っていくのだと思います。 最初に感じた心地よさが、時間とともに少しずつ深まっていく。 指で鼻緒をはさみ、足で木地を持ち上げて足全体を使って歩く。 そうした歩き方があたりまえに、自分のものになっていく。 その過程も含めて、下駄の履き心地なのではないか。そんなふうに思います。 履き心地とは、つくり手がすべて決めるものではなく、履く人とともに育っていくもの。 私たちは、そのきっかけとなる一足を、これからも丁寧に届けていきたいと思っています。
本藍染めの鼻緒 ―クラフト工房La Manoとの出会い― シリーズ「mizutori」とは... 【第四十七話】

本藍染めの鼻緒 ―クラフト工房La Manoとの出会い― シリーズ「mizutori」とは... 【第四十七話】

第四十七話 本藍染めの鼻緒 ―クラフト工房La Manoとの出会い― 今回は、mizutoriでも人気のある、本藍染めの鼻緒の下駄について、その誕生の背景をお伝えしたいと思います。 この生地を染めてくださっているのが、クラフト工房La Manoさんです。 クラフト工房La Manoさんは、1992年に、一般就労が困難な方々が生き生きと働ける場として設立された工房です。 東京都町田市の、緑に囲まれた場所にあり、自然豊かな環境の中で、天然素材を使った染めや手織り、アトリエでの制作活動を中心に日々ものづくりに取り組まれています。 ときには散歩をしたり、畑を耕したり、染料となる植物を採取したり。 そんな時間の積み重ねの中から、ひとつひとつの作品が生まれています。 はじめて訪れたとき、そこはこれまでに見てきたどの工房とも違う、どこか空気のやわらかさを感じる場所でした。 古民家を活かした空間には風が通り、周囲には緑が広がっています。 一歩足を踏み入れた瞬間、素直に「心地いい」と感じたことをよく覚えています。 そこでは、さまざまな特性を持つ方々が、それぞれのペースで、いきいきとものづくりに向き合っていました。 こうした環境の中で才能が開花し、作品展を開催されたり、アート作品として発表・販売されるなど、自分自身の表現を広げていかれる方もいらっしゃいます。 その姿に触れたとき、これまでの自分の見方が、どこか狭いものだったのではないかと気づかされました。 誰にでも可能性があること。そして、アートやクラフトを楽しむ自由があること。 LaManoさんの活動は、そうした当たり前のことを、あらためて教えてくれるものでした。 こういった場所があることを、もっと多くの方に知っていただけたらと思いました。 そんな思いから、素材を通じたコラボレーションが始まりました。 mizutoriで使用しているのは、本格的な藍染めによる手ぬぐいです。 一枚一枚、手作業で染められた生地は、色の濃さやにじみ方、その表情が少しずつ異なります。 けれどその違いこそが、手仕事ならではの味わいとなり、一足ごとに個性を与えてくれます。 心地よい環境の中で、それぞれの個性を活かしながら生まれた藍染めの布。 それがmizutoriの下駄と重なり、新しいかたちとなりました。 足元から伝わるその風合いが、履いてくださる皆さまの日々の暮らしの中にも、ささやかな心地よさを運んでくれたら嬉しく思います。 出会いによって、ものづくりは広がっていく。 そんな実感を、この取り組みを通してあらためて感じています。
創作下駄 ―発想をかたちにする― シリーズ「mizutori」とは... 【第四十六話】

創作下駄 ―発想をかたちにする― シリーズ「mizutori」とは... 【第四十六話】

第四十六話 創作下駄 ―発想をかたちにする― mizutoriでは、社内での商品開発だけでなく、さまざまなデザインを具現化する取り組みも行ってきました。 そのひとつに、地元で開催されている「夢デザインコンテスト」があります。 子どもたちが静岡の地場産業の中から業種を選び、「あったらいいな」と思う商品を自由にデザインする企画です。 私たちもこれまでに、下駄を選んでくれたお子さんのデザインを実際にかたちにしてきました。 そこには、大人には思いつかないような、自由でのびやかな発想が詰まっています。 そして時に、「はっ」と気づかされるような視点に出会うこともあります。 例えば、剣道を習っているお子さんが考えてくれたのは、道場へ通うときに履くための下駄でした。 帰り道は暗くなることが多いからと、鼻緒に反射材を取り入れたデザインです。 日常の中で感じていることが、そのまま自然に形になっていることに、思わず感心させられました。 また、デザインを学ぶ学生さんからは、下駄と地下足袋を組み合わせたような新しい履物の提案もありました。 細かな花柄の彫りや、生地の配色まで丁寧に描き込まれたそのデザインは、具現化するには多くの試行錯誤が必要でしたが、とても印象的な一足に仕上がりました。 こうした取り組みでは、普段のものづくりとは少し違った向き合い方になります。 効率や量産性、履き心地のバランスといった通常であれば大切にしている基準をいったん脇に置き、まずはその発想をそのまま形にすることに向き合います。 ひとつひとつのパーツを丁寧に作り、時間をかけて仕上げていく。 その過程は決して簡単ではありませんが、普段とは違う思考を使いながらひたすら具現化に向き合う時間は、私たちにとっても新鮮です。 子どもたちの発想は、自由であると同時に、暮らしの中にしっかりと根ざしています。 だからこそ、そこにはこれからの地場産業にとってのヒントや可能性が数多く含まれているのだと思います。 地場産業は、長い時間をかけて受け継がれてきたものです。 けれど今、職人の減少などによって、その多くが存続の岐路に立たされています。 そうした中で、こうした取り組みを通じて子どもたちが地場産業に興味を持ち、その魅力に触れてくれることは、これから先を考えるうえで、とても大きな意味を持つのではないでしょうか。 自由な発想が、新しい視点を生み、次の時代へとつながっていく。 その小さなきっかけが、未来の地場産業を支える力になっていくことを、私たちは願っています。