シリーズ「mizutori」とは... 【第十一話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第十一話】

第十一話ブランドイメージの転機【後編】小さな町工場が見た、新しい景色   ■ ブランドとしての覚醒 ひびのこづえさんと出会う以前、mizutoriはまだ「和工房みずとり」「げたのみずとり」として商品を展開しており、洋装にも合わせられるものの、まだまだ“和小物“というくくりでの下駄を作っていました。日々、お客様からのご要望に応える商品作りに取り組む中で、自分たちがどのようなブランドになっていきたいのかというビジョンは、まだ明確に描けていなかったように思います。そんな中でチャレンジした、デザイナーとの共創作業。困難な課題を乗り越えて、これまでにない製品を生み出すことができた結果、思いもよらない反応が届くようになりました。それまでご縁のなかったセレクトショップやインテリアショップなどで商品を取り扱っていただけるようになり、新たなお客様にmizutoriを知っていただける機会が増えたのです。 ■ 広がる評価と確かな手応え 地元では「グッドデザインしずおか県知事賞」を受賞。その後も、雑誌『サライ』の「サライ大賞グランプリ」や、インターナショナル・ギフト・ショーでのコンテスト受賞など、さまざまな形で評価をいただきました。 一つの商品が世間の目を変える。静岡の小さな町工場でも、デザイナーとの出会いによってまったく違う景色を見ることができる。その実感とともに、「デザインの力」の大きさを再認識しました。〈ひのきのはきもの〉の登場によって、もともと製造していた下駄への注目も集まり、これまで以上に多くのお客様の目に留まるようになりました。そして、「町工場でも、デザイナーの要望に応える商品を作ることができる」という大きな自信が、私たちの中に育っていきました。   ■ 未来へと続くmizutoriの挑戦 mizutoriの共創商品の第一作である〈ひのきのはきもの〉は、今でも大切に販売を続けています。これ以降、mizutoriは、デザイナーや作家、各地の伝統産業などと数多くの共創をしていくようになりました。 温故知新という言葉があります。私たちは困難に直面したことで下駄作りという原点に立ち返り、そこから再び新しい商品を生み出す機会を得ることができました。この経験を通じて、mizutoriは「チャレンジを続けるブランド」として、お客様に期待していただける存在へと成長できたのだと感じています。 これからも、歴史や伝統への敬意を忘れずに、日本の履物文化を未来につなげていく。そのためにも、恐れず新たな挑戦を重ねてまいります。どうかこれからもmizutoriを楽しみに、温かく見守り、応援していただけましたら幸いです。 次回に続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第十話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第十話】

第十話ブランドイメージの転機【前編】ひのきのはきもの誕生秘話   ■ 出会いから始まった、大きな挑戦 mizutoriでは、「茶人」「SHIKIBU」「two piece」をはじめ、静岡産ひのきの間伐材を活用した商品を展開しています。その先駆けとなったのが、コスチュームアーティスト・ひびのこづえさんデザインによる〈ひのきのはきもの〉シリーズでした。今から20年ほど前、静岡市では地場産業とデザイナーを結びつけて新たな商品開発をするプロジェクトがありました。そのプロジェクトに参加させていただいて出会ったのが、ひびのさんです。静岡県出身で、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」の衣装・セットデザインを手がける著名な方にデザインをお願いできることになり、私たちは緊張と期待が入り混じった気持ちでスタートを切りました。 ■ デザインと技術のせめぎ合い mizutoriはそれまで、自社で商品の企画・製造を完結させていました。そのため、プロのデザイナーの要望に応えられるのかという不安がありました。実際いただいたデザイン画は、それまでの下駄とはまったく違う印象のもので、どれも洗練されており衝撃的でした。「木製履物」と聞いてイメージされる“下駄”とは一線を画すスタイリッシュな佇まいに期待感も高まりました。 けれども、そこに記されていたのは“図面”ではなく“絵”のみ。数値の指示がない中で絵を見て立体化し、履物として具現化していくというのは、私たちにとって初めての経験でした。履き心地を重視すればデザインが変わってしまう。かといってデザインに忠実すぎると、mizutoriが大切にしてきた「心地よさ」が損なわれてしまいます。素材もデザインイメージに近く、かつ、耐久性や肌触りといった実用性を兼ね備える必要がありました。   ■ 職人技が生んだ奇跡の一足 Mizutoriではこのプロジェクトで初めて、天板に静岡ひのきの間伐材を使用しました。ただ、デザイン画通りの薄さでひのきを使用した場合、履いたときに割れてしまう可能性がありました。 そこで地元の家具加工業者に協力を仰ぎ、強度を確保するためにおよそ10mmの木板を半分近くにまで圧縮プレス。なんとか試行錯誤の末にデザイン通りに薄く、でも、実用的には強度のある天板が完成しました。さらに、履き心地を良くするため、足裏の曲線に沿うような“曲げ加工”も施しましたが、この工程が非常に難しく、木の表面にシワが出ないよう仕上げるのは至難の業。この加工は、偶然成功したと言ってもいいほど困難で、今でも同じ加工ができる工場はなかなかありません。そうして何度も試作を重ね、ようやくひびのさんも私たちも納得のいく商品が完成しました。 今思い返しても、あの開発の日々はまるで修行のようでした。しかしこの経験が、mizutori開発チームの「ネバーギブアップ精神」の礎になったことは間違いありません。こうして世に出た〈ひのきのはきもの〉は、mizutori――そして水鳥工業のイメージを大きく変える転機となったのです。 次回に続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第九話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第九話】

第八話「下駄=痛い」…そのイメージ、mizutoriが変えます! 夏祭りや花火大会など、心が弾む季節がやってきました。浴衣や夏の装いにチャレンジしたいけれど、「足元はどうしよう?」と悩む方へ——。mizutoriの下駄は、洋装・和装どちらにもなじむデザインと、快適な履き心地が魅力。まるでサンダルのように気軽に履けて、普段の暮らしにも自然と溶け込みます。日本の伝統を日常で楽しめる、そんな一足です。 「下駄って、足が痛くなるのでは?」 ——そんな不安を感じる方も少なくありません。mizutoriは、そうした声に真摯に向き合い、 “痛くなりにくい下駄”を目指して改良を重ねてきました。 ▼ 痛くなりにくい5つの理由 1. 鼻緒が幅広・前つぼが太め足指で鼻緒を挟む「前つぼ」は、細いと圧が集中して痛みの原因に。mizutoriはこの部分を太めに設計し、さらに鼻緒全体を幅広にすることで、足への圧力を分散させています。 2. クッション入りの鼻緒mizutoriの鼻緒には、見えない部分にクッション材を内蔵。これにより足をふんわりと包み込むようなやさしい履き心地を実現しています。 3. 肌あたりのよい素材選び鼻緒の裏地など足に直接触れる部分には、長時間歩いても擦れにくいように柔らかく滑らかな素材を厳選しています。 4. 足へのなじみを考えた木台の形状mizutoriの下駄には、足のアーチに沿った立体的な彫りが施してあります。足裏がフィットし安定することで、歩きやすく疲れにくい設計になっています。 5. オーダーメイドの調整も可能既存サイズでは不安という方には、鼻緒のサイズ調整も対応しています。ご注文時にお知らせいただくことで、より快適な一足をお作りすることができます。 快適に履くためのひと工夫 とはいえ、足の形や皮膚のタイプ、気候などによっても履き心地は変わってくるので「絶対に痛くならない」とまでは言い切れません。 そんな方におすすめしたいのが、「ハーフソックス」の活用です。 鼻緒による擦れや痛みを予防できるうえ、汗汚れも防げて、衛生的。ソックスの色を変えることで、コーディネートのアクセントにもなります。 mizutoriウェブショップでは、「SASAWASHI 5本指ハーフソックス」も販売中。 くまざさを漉き込んだ和紙で織り上げたさらっとした肌ざわりを、ぜひ下駄と一緒に体験してみてください。 日本の夏を、mizutoriの下駄でもっとお洒落に、快適に! 涼やかで快適、そしてちょっと個性的。mizutoriの下駄とともに、日本の夏をもっと楽しんでみませんか? 次回に続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第八話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第八話】

第八話下駄は“平和な時代”に進化した? 「下駄は平和な時代に進化する履きもの。そして日本の風土に合った美しい文化だ」これは、先代社長が語っていた言葉です。この言葉の意味、一体どういうことなのでしょう?今回は、日本人の暮らしとともに歩んできた「下駄」のルーツと、日本の風土・平和・文化との関係に注目してみます。■下駄の原点 ―自然の中で生まれた生活の知恵―日本は雨が多く湿度も高いため、足元がぬかるむ場面も多くあります。そうした風土の中で弥生時代後期〜古墳時代に登場したのが「田下駄」。足を泥や水から守る道具として生まれたのが下駄の原点です。この時点では、まだ鼻緒(はなお)はなく、紐で足に固定しており、ファッション性よりも純粋な「道具」としての側面が強いものでした。 ■貴族や僧侶の履物へ ―平安時代~鎌倉時代―この時代になると、下駄は徐々に貴族や僧侶の間で使われるようになります。地面の泥や汚れから高価な衣装を守るため、高さのある履物が必要とされました。まだ一般庶民に普及するものではなく、特権階級の履物という位置づけでした。 ■“平和”と“心のゆとり”が文化を育てる ―室町時代~江戸時代―戦乱の世が落ち着き、平和が訪れると人々の暮らしに余裕が生まれます。そして下駄が最も発展し、文化として花開いたのが江戸時代です。 商業、都市文化が発展したことで、下駄は武士から町人まで、老若男女問わず誰もが履く日常的な履物となりました。実用品からお洒落や自己表現の手段へと進化し、鼻緒や台の素材・色柄・形にこだわることで「粋」や「伊達」を演出し、季節感や個性を楽しむアイテムに。種類も多様化し、雨の日の「高下駄」、普段使いの「日和下駄」、舞妓さんの「ぽっくり下駄」など、用途に応じて多彩に発展しました。 この発展とともに、下駄を作る「下駄職人」や、鼻緒を作る「鼻緒職人」が現れ職人の分業化も進みました。精巧な木工や織物技術も磨かれ、下駄は美意識と技術が融合した工芸品へと進化していきました。 ■下駄の進化は、終わらない。次の100年を見据えて。歴史が示すように、下駄は日本の自然と調和し、平和な時代にこそ人々の創造性によって育まれた文化と職人技が詰まった履物です。先人たちの知恵と美意識が息づく下駄は、ただの履物ではなく、平和の象徴ともいえる日本の美しい文化だと感じています。 次回に続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第七話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第七話】

第七話「hitete」ネーミング秘話 今回は、mizutoriのヒール下駄の代表作ともいえる「hitete(ハイテテ)」のネーミング秘話をお届けします。mizutoriがヒール下駄を作り始めた当初は、まだ名前がなく、単純にヒールの高さで4.5cmを「中ヒール下駄」、6.5cmを「ハイヒール下駄」と呼んでいました。やはり商品にはちゃんとした名前があった方がいいということで、次に名付けられたのが「SENSE」でした。これには、「センスある着こなしに合わせて履ける下駄」であり、そして「履くことで心地よさを感じてほしい」という願いが込められていました。「SENSE」という名前は2018年まで長く使っていたので、聞き覚えがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。そして2019年、商品群の整理を機に、現在の「hitete」に改名することになりました。 「hitete」という表記を見て、「ヒテテ」と読んだ方も多いと思いますが、「ハイテテ」と読みます。 この新しい名前を決めるにあたっては、社員みんなでアイデアを出し合ったり、投票したりと、全員参加で考えました。新しい名前に込めたのは、「お客様にこの下駄を履いて、お出かけを心ゆくまで楽しんでほしい」という私たちの熱い思いでした。 そして、この「hitete」という名前には、実はこんなエピソードも隠されています。昔、先代社長が催事販売でお客様に下駄をおすすめする際に、決まって「ハイテッテ(履いて行って)ごらん!」と声をかけていたんです。また、「この下駄、ハイテテ(履いていて)心地いいね」というお客様からの感想もたくさんいただいていました。さらに、弊社にはフランス語を母国語とする専務がいるのですが、彼が「『été(エテ)』はフランス語で『夏』という意味だから、『hit ete』なら夏にヒットする商品になるかもね!」と言ってくれたのも、決定の後押しになりました。「こじつけかな?」と感じる部分もあるかもしれませんが、こうしたいろいろな思いや願い、そして温かいエピソードが詰まって名付けられたのが「hitete」です。我が子に名前をつける時と同じように、たくさんの愛情が込められているんです。今年の夏のお出かけには、ぜひ「hitete」をハイテッテ(履いて行って)、日常を心地よく楽しんでください! 次回に続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第六話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第六話】

第六話お客様の声から生まれた、ヒール下駄「hitete」 「げた物語」を世に送り出し、私たちは百貨店での催事など、お客様と直接お会いする機会を少しずつ増やしていきました。それまで下請け工場として材料加工に専念してきた私たちにとって、お客様の生の声を聞くことは、すべてが新鮮で、たくさんの気づきをもたらしてくれました。 中でも、特に多くの女性のお客様からいただいたのが、「もう少しヒールのある下駄を作ってほしい」というご意見でした。「履き心地はすごく気に入っているけれど、普段履いているヒールに慣れているから、もう少し高さがあった方が歩きやすいのよね」「デニムにはもちろん合うけれど、おしゃれをして出かける時は、もう少しエレガントなデザインだと嬉しいな」「ヒールがある方がスタイルも良く見えるし、下駄でもヒールが欲しいんです」 お客様のリアルな声で、私たちのものづくり魂に火がつきました。そして、「げた物語」の心地よさはそのままに、ヒールのある下駄を作ろう。そう決意したのです。 「履きやすさ」を追求した、ヒール下駄の誕生 一口にヒールと言っても、ただ高さを出せばいいわけではありません。足が痛くなってしまっては、せっかくの履き心地が台無しになってしまいます。お客様のご要望に応えつつ、どうすれば最高の履き心地を提供できるのか。私たちのヒール下駄開発は、まさに試行錯誤の連続でした。長年培ってきた女性用の靴の中底の知識を活かし、台は「げた物語」よりも少し細身にデザイン。安定感を確保するため、ヒール部分は地面との接地面を広めに設計しました。 ヒールの高さは、お客様の好みに合わせて選べるよう、疲れにくい4.5cmと、すっと歩きやすい6.5cmの2種類をご用意。鼻緒も「げた物語」同様、足をしっかりホールドする太めのデザインにこだわりました。そうして、いくつもの試作を重ね、ようやくたどり着いた理想のカタチ。それが、今ではmizutoriの人気商品となったヒール下駄「hitete(ハイテテ)」です。「hitete」は、お客様の「こんな下駄が欲しい!」という想いから生まれた、私たちにとって特別な一足なのです。 ぜひ一度、「hitete」の履き心地を体験してみませんか? 次回に続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第五話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第五話】

第五話「ジーンズに合う下駄」一足の下駄に込められた、私たちの原点。 今では100種類以上の彩り豊かな鼻緒から、お好きな一足を選んでいただけるようになったmizutoriの下駄ですが、今回は、その原点となった『げた物語』の最初の一足が、どのような想いから生まれたのかをお話しさせていただきます。 『げた物語』の発売当初、商品数はほんのわずかでした。その開発の核にあったのは、先代社長の「老若男女、誰もが履いているジーンズに合うような下駄を作りたい」という、強い想いだったのです。 昭和19年生まれの先代にとって、ジーンズは「現代的でお洒落の象徴」そのものでした。そのジーンズに、日本の伝統的な履物である下駄を合わせるという、新しいスタイルを提案したかったのです。 当時の先代は、催事でお客様にお会いするたびに、嬉しそうにこう語りかけていました。 「この下駄はね、ジーンズにとても良く合うんだよ!」 その言葉には、新しいライフスタイルへの自信と、ものづくりへの深い愛情が込められていました。 その想いを形にするため、デザインにも工夫を凝らしました。ジーンズの定番カラーであるネイビーに美しく映えるよう、鼻緒は濃紺をベースに。石川県の織屋さんへ特注の生地をオーダーし、麻の葉や青海波といった日本の伝統柄をあしらいました。 ちなみに、当時は現在のブランド名「mizutori」ではなく、温かみが感じられる「和工房みずとり」でした。そして、この「和工房みずとり」と「げた物語」のロゴは、書道の先生だった現社長の祖父が筆を執ってくれたものです。 先代の情熱と、それを支える家族の絆。『げた物語』は、家族全員の力で生み出した思い入れ深い一足です。 発売から約30年、この『げた物語』が皆さまに長く愛され続けていることは私たちの誇りです。今では和柄に限らず、様々なファッションに合わせていただけるようデザインも豊富になりました。 これからも、この始まりの想いを大切に受け継ぎながら、皆さまの毎日に寄り添う一足を、心を込めてお届けしてまいります。 お手持ちのジーンズとmizutoriの下駄で、この夏は新しいお洒落をぜひお楽しみください。 次回に続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第四話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第四話】

第四話「このままではいけない」の想いが形に。原点回帰と革新の物語。<後編>「げた物語」の開発は、試行錯誤の連続でした。まず、昔ながらの左右対称だった下駄の形を見直し、サンダルのように左右の足型に合わせたデザインを採用。そして、木地の天面(足を乗せる部分)には、足裏の自然なカーブに心地よくフィットするよう、絶妙な彫りを施しました。この工夫には、長年の中底加工で培った私たちの技術と経験が活かされています。さらに、「痛くなる」という声が多かった鼻緒にも、徹底的にこだわりました。あえて太めに設計し、内部に柔らかなクッション材を入れました。これにより、足の指の間や甲への負担を大幅に軽減し、鼻緒擦れを改善しました。また、直接地面に接する底部分には、クッション性に優れた合成ゴムを採用。木製ながら硬さを感じさせない優しい履き心地と共に、修理して長く愛用できる工夫も凝らしました。試作と調整を重ねて辿り着いた独自の木地と鼻緒は、足全体を柔らかく包み込むような、これまでにないフィット感を生み出しました。 名前に込められた、確かな「物語」こうして、かつてない履き心地の下駄が完成に近づいた頃、実はまだ商品名が決まっていませんでした。生産体制も整い、いよいよ販売という段階になって皆で頭を悩ませていた時です。当時高校生だった先代社長の長女が、ふと「『げた物語』はどうかな?」と提案してくれました。某メーカーの発売していたシャンプー「〇〇物語」からヒントを得た一言でした。しかし、その名は私たちの心に深く響きました。時代の変化に立ち向かい、経験と知恵を結集して新しい価値を創造してきた道のり。そこには確かに「物語」がありました。こうして、私たちの熱い想いと確かな技術、そして家族の絆から生まれた「げた物語」は、その名を得て、ついに世に送り出されたのです。 この「げた物語」の開発が、現在のmizutoriブランドの礎となっています。次回に続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第三話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第三話】

第三話「このままではいけない」の想いが形に。原点回帰と革新の物語。<前編> 今回は、mizutoriの原点ともいえる商品「げた物語」がどのようにして生まれたのか、その開発ストーリーをご紹介します。 時代の変化が生んだ、未知への挑戦私たち水鳥工業は、平成の初め頃まで、下駄の木地(木の部分)加工やサンダルの中底加工といった、いわば「縁の下の力持ち」として材料供給・加工を主な生業としていました。当時は、自社で製品を完成させ、独自のブランドを立ち上げるなど、想像もしていませんでした。しかし、時代の流れは速く、日本の産業が次々に海外へ生産拠点を移す流れの中、材料の供給・加工だけでは事業の継続が困難な状況へと変化していきます。「このままではいけない」。私たちは、これまでの経験を活かしつつも、未知の領域である自社製品開発への挑戦を決意します。その最初の一歩が、この「げた物語」でした。 「なぜ下駄は履かれなくなったのか?」原点からの問い 当時会社の存続に強い危機感を感じた2代目社長水鳥正志は水鳥工業の原点である下駄を現代の履物として再び日常生活に復活させようとオリジナル商品の開発を始めました。開発にあたり、まず私たちが考えたのは、「なぜ現代の生活の中で、下駄はあまり履かれなくなってしまったのだろう?」という素朴な疑問でした。 そこから見えてきたのは、現代人にとっての「下駄の課題」でした。 •    和のイメージが強く、洋風化した現代の服装や生活に合わせにくい。•    硬い鼻緒で足が擦れて痛い。•    鼻緒を調整してもらっても、自分の足にしっくりこなくて履きづらい。•    履き慣れていないため、歩くとすぐに疲れてしまう。•    アスファルトの道では、カランコロンという音が響いて気になる。 これらの課題を解決し、日常で気軽に快適に履ける”実用的な下駄を創る”こと。それが自社製品の開発目標となりました。 こうして「mizutori」の代表作「げた物語」の開発がスタートしたのです。 後半へ続く・・・
シリーズ「mizutori」とは... 【第二話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第二話】

第二話mizutoriのはじまり 「mizutori」を展開する水鳥工業が産声を上げた昭和初期。 今話題のNHK朝ドラ『あんぱん』の舞台とも重なるこの時代、人々の足元を彩っていたのは紛れもなく下駄や雪駄でした。静岡は広島、大分と並ぶ下駄の三大産地の一つとして栄え、水鳥工業も創業当時は伝統的な和下駄の木地(木製の土台部分)加工販売を生業としていました。静岡では昔から地域全体で分業制でのものづくりをしていたため、周辺には鼻緒加工や鼻緒挿げなど、下駄に関連する仕事をする家がたくさんありました。 しかし、時代の移り変わりと共に、履物の主役は下駄からサンダル、そして靴へと変遷。この大きな波に対応すべく、水鳥工業はサンダルの天板や靴の中底加工へと事業の軸足を移しました。履き心地を左右する重要なパーツである靴の中底加工は、2023年まで続けていました。静岡が下駄をはじめとする履物製造を地場産業として発展してきた歴史の中で、水鳥工業は常に時代の変化に対応し続けてきました。転機が訪れたのは1980年代後半。安価な海外製品の台頭により、材料屋としての仕事は厳しい価格競争に晒されます。この逆境を打破すべく、平成元年頃から「他ではやっていないこと」を模索し始めました。そして辿り着いたのが、原点である下駄木地の生産でした。しかし、それは単なる回帰ではありません。長年培ってきたサンダルや靴の中底づくりの技術、つまり「足裏にフィットし、心地よく履ける」ノウハウを注ぎ込み、これまでの下駄の概念を覆すような、足に優しい下駄木地の開発に着手したのです。当初は、開発した下駄木地を材料として他のメーカーに販売する予定でした。しかし、当時の履物業界は化学製品が主流。木製材料の温もりや可能性を積極的に採用しようというメーカーは現れませんでした。「ならば、自分たちで」――周囲からの後押しもあり、水鳥工業は自社で完成品まで手掛けるメーカーへの道を歩み始めます。こうして「mizutori」の代表作「げた物語」の開発がスタートしたのです。次回へ続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第一話】

シリーズ「mizutori」とは... 【第一話】

第一話水鳥工業の挑戦、伝統と革新が織りなす「げた物語」 私たちmizutoriは、美しい自然とものづくりの伝統が息づく街、静岡市に工場を構え、日本の伝統履物である『下駄』を進化させ続けている革新的な下駄ブランドです。『下駄』と聞くと、多くの方が夏祭りや花火大会で浴衣に合わせる、特別な日の履物をイメージされるかもしれません。あるいは、少し硬くて歩きにくいのでは…という印象をお持ちの方もいらっしゃるでしょうか。私たちmizutoriは、そんな伝統的な下駄の素晴らしい文化を受け継ぎながらも、現代のライフスタイルに寄り添い、毎日でも履きたくなるような『新しい下駄』のカタチを追求しています。 mizutoriの最大の特徴は、なんといってもその『履き心地』。履物づくりに携わってきた職人たちの長年の経験と研究を重ねて生み出したオリジナルの木地は、足裏に吸い付くようにフィットします。これは何年もかけて試行錯誤を繰り返し完成した、mizutori独自のものです。履いた人が自然と笑顔になるような、そんな履き心地を目指して今もなお改良を続けています。 さらに、鼻緒の素材や形状、すげ方(取り付け方)にも細心の注意を払っています。足に当たる部分は柔らかく、それでいてしっかりと足をホールドすることで歩行時の安定感を高め、サンダルのような気軽さとスニーカーのような安心感を両立させた、現代に合う履き心地を実現しています。そして、伝統を守るだけでなく、新しい風を取り入れることも私たちの使命だと考えています。国内外のデザイナーとコラボレーションしたり、現代のファッションシーンにマッチする斬新なデザインや色彩を取り入れたりすることで、下駄の持つ可能性を広げています。『下駄ってこんなにお洒落だったんだ!』『こんな服にも合うんだ!』そんな驚きと発見を提供していきたいと考えています。また、『下駄を履くと、背筋が伸びる気がする』『素足でいるより心地よい』そんなお客様からの声が、私たちの何よりの喜びです。mizutoriの下駄は、ファッションアイテムではありながら、足もとから履く方のより健康的で、より快適な毎日をデザインするパートナーでありたいと考えています。静岡の小さな工場から、そんな願いを込めて、今日も私たちは下駄を作り続けています。次回へ続く