mizutoriのよみもの
シリーズ「mizutori」とは... 【第四話】
第四話「このままではいけない」の想いが形に。原点回帰と革新の物語。<後編>「げた物語」の開発は、試行錯誤の連続でした。まず、昔ながらの左右対称だった下駄の形を見直し、サンダルのように左右の足型に合わせたデザインを採用。そして、木地の天面(足を乗せる部分)には、足裏の自然なカーブに心地よくフィットするよう、絶妙な彫りを施しました。この工夫には、長年の中底加工で培った私たちの技術と経験が活かされています。さらに、「痛くなる」という声が多かった鼻緒にも、徹底的にこだわりました。あえて太めに設計し、内部に柔らかなクッション材を入れました。これにより、足の指の間や甲への負担を大幅に軽減し、鼻緒擦れを改善しました。また、直接地面に接する底部分には、クッション性に優れた合成ゴムを採用。木製ながら硬さを感じさせない優しい履き心地と共に、修理して長く愛用できる工夫も凝らしました。試作と調整を重ねて辿り着いた独自の木地と鼻緒は、足全体を柔らかく包み込むような、これまでにないフィット感を生み出しました。
名前に込められた、確かな「物語」こうして、かつてない履き心地の下駄が完成に近づいた頃、実はまだ商品名が決まっていませんでした。生産体制も整い、いよいよ販売という段階になって皆で頭を悩ませていた時です。当時高校生だった先代社長の長女が、ふと「『げた物語』はどうかな?」と提案してくれました。某メーカーの発売していたシャンプー「〇〇物語」からヒントを得た一言でした。しかし、その名は私たちの心に深く響きました。時代の変化に立ち向かい、経験と知恵を結集して新しい価値を創造してきた道のり。そこには確かに「物語」がありました。こうして、私たちの熱い想いと確かな技術、そして家族の絆から生まれた「げた物語」は、その名を得て、ついに世に送り出されたのです。
この「げた物語」の開発が、現在のmizutoriブランドの礎となっています。次回に続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第三話】
第三話「このままではいけない」の想いが形に。原点回帰と革新の物語。<前編>
今回は、mizutoriの原点ともいえる商品「げた物語」がどのようにして生まれたのか、その開発ストーリーをご紹介します。
時代の変化が生んだ、未知への挑戦私たち水鳥工業は、平成の初め頃まで、下駄の木地(木の部分)加工やサンダルの中底加工といった、いわば「縁の下の力持ち」として材料供給・加工を主な生業としていました。当時は、自社で製品を完成させ、独自のブランドを立ち上げるなど、想像もしていませんでした。しかし、時代の流れは速く、日本の産業が次々に海外へ生産拠点を移す流れの中、材料の供給・加工だけでは事業の継続が困難な状況へと変化していきます。「このままではいけない」。私たちは、これまでの経験を活かしつつも、未知の領域である自社製品開発への挑戦を決意します。その最初の一歩が、この「げた物語」でした。
「なぜ下駄は履かれなくなったのか?」原点からの問い
当時会社の存続に強い危機感を感じた2代目社長水鳥正志は水鳥工業の原点である下駄を現代の履物として再び日常生活に復活させようとオリジナル商品の開発を始めました。開発にあたり、まず私たちが考えたのは、「なぜ現代の生活の中で、下駄はあまり履かれなくなってしまったのだろう?」という素朴な疑問でした。
そこから見えてきたのは、現代人にとっての「下駄の課題」でした。
• 和のイメージが強く、洋風化した現代の服装や生活に合わせにくい。• 硬い鼻緒で足が擦れて痛い。• 鼻緒を調整してもらっても、自分の足にしっくりこなくて履きづらい。• 履き慣れていないため、歩くとすぐに疲れてしまう。• アスファルトの道では、カランコロンという音が響いて気になる。
これらの課題を解決し、日常で気軽に快適に履ける”実用的な下駄を創る”こと。それが自社製品の開発目標となりました。
こうして「mizutori」の代表作「げた物語」の開発がスタートしたのです。
後半へ続く・・・
シリーズ「mizutori」とは... 【第二話】
第二話mizutoriのはじまり
「mizutori」を展開する水鳥工業が産声を上げた昭和初期。
今話題のNHK朝ドラ『あんぱん』の舞台とも重なるこの時代、人々の足元を彩っていたのは紛れもなく下駄や雪駄でした。静岡は広島、大分と並ぶ下駄の三大産地の一つとして栄え、水鳥工業も創業当時は伝統的な和下駄の木地(木製の土台部分)加工販売を生業としていました。静岡では昔から地域全体で分業制でのものづくりをしていたため、周辺には鼻緒加工や鼻緒挿げなど、下駄に関連する仕事をする家がたくさんありました。
しかし、時代の移り変わりと共に、履物の主役は下駄からサンダル、そして靴へと変遷。この大きな波に対応すべく、水鳥工業はサンダルの天板や靴の中底加工へと事業の軸足を移しました。履き心地を左右する重要なパーツである靴の中底加工は、2023年まで続けていました。静岡が下駄をはじめとする履物製造を地場産業として発展してきた歴史の中で、水鳥工業は常に時代の変化に対応し続けてきました。転機が訪れたのは1980年代後半。安価な海外製品の台頭により、材料屋としての仕事は厳しい価格競争に晒されます。この逆境を打破すべく、平成元年頃から「他ではやっていないこと」を模索し始めました。そして辿り着いたのが、原点である下駄木地の生産でした。しかし、それは単なる回帰ではありません。長年培ってきたサンダルや靴の中底づくりの技術、つまり「足裏にフィットし、心地よく履ける」ノウハウを注ぎ込み、これまでの下駄の概念を覆すような、足に優しい下駄木地の開発に着手したのです。当初は、開発した下駄木地を材料として他のメーカーに販売する予定でした。しかし、当時の履物業界は化学製品が主流。木製材料の温もりや可能性を積極的に採用しようというメーカーは現れませんでした。「ならば、自分たちで」――周囲からの後押しもあり、水鳥工業は自社で完成品まで手掛けるメーカーへの道を歩み始めます。こうして「mizutori」の代表作「げた物語」の開発がスタートしたのです。次回へ続く
シリーズ「mizutori」とは... 【第一話】
第一話水鳥工業の挑戦、伝統と革新が織りなす「げた物語」
私たちmizutoriは、美しい自然とものづくりの伝統が息づく街、静岡市に工場を構え、日本の伝統履物である『下駄』を進化させ続けている革新的な下駄ブランドです。『下駄』と聞くと、多くの方が夏祭りや花火大会で浴衣に合わせる、特別な日の履物をイメージされるかもしれません。あるいは、少し硬くて歩きにくいのでは…という印象をお持ちの方もいらっしゃるでしょうか。私たちmizutoriは、そんな伝統的な下駄の素晴らしい文化を受け継ぎながらも、現代のライフスタイルに寄り添い、毎日でも履きたくなるような『新しい下駄』のカタチを追求しています。
mizutoriの最大の特徴は、なんといってもその『履き心地』。履物づくりに携わってきた職人たちの長年の経験と研究を重ねて生み出したオリジナルの木地は、足裏に吸い付くようにフィットします。これは何年もかけて試行錯誤を繰り返し完成した、mizutori独自のものです。履いた人が自然と笑顔になるような、そんな履き心地を目指して今もなお改良を続けています。
さらに、鼻緒の素材や形状、すげ方(取り付け方)にも細心の注意を払っています。足に当たる部分は柔らかく、それでいてしっかりと足をホールドすることで歩行時の安定感を高め、サンダルのような気軽さとスニーカーのような安心感を両立させた、現代に合う履き心地を実現しています。そして、伝統を守るだけでなく、新しい風を取り入れることも私たちの使命だと考えています。国内外のデザイナーとコラボレーションしたり、現代のファッションシーンにマッチする斬新なデザインや色彩を取り入れたりすることで、下駄の持つ可能性を広げています。『下駄ってこんなにお洒落だったんだ!』『こんな服にも合うんだ!』そんな驚きと発見を提供していきたいと考えています。また、『下駄を履くと、背筋が伸びる気がする』『素足でいるより心地よい』そんなお客様からの声が、私たちの何よりの喜びです。mizutoriの下駄は、ファッションアイテムではありながら、足もとから履く方のより健康的で、より快適な毎日をデザインするパートナーでありたいと考えています。静岡の小さな工場から、そんな願いを込めて、今日も私たちは下駄を作り続けています。次回へ続く