第八話
下駄は“平和な時代”に進化した?


「下駄は平和な時代に進化する履きもの。そして日本の風土に合った美しい文化だ」

これは、先代社長が語っていた言葉です。
この言葉の意味、一体どういうことなのでしょう?
今回は、日本人の暮らしとともに歩んできた「下駄」のルーツと、日本の風土・平和・文化との関係に注目してみます。


■下駄の原点 ―自然の中で生まれた生活の知恵―
日本は雨が多く湿度も高いため、足元がぬかるむ場面も多くあります。そうした風土の中で弥生時代後期〜古墳時代に登場したのが「田下駄」。足を泥や水から守る道具として生まれたのが下駄の原点です。この時点では、まだ鼻緒(はなお)はなく、紐で足に固定しており、ファッション性よりも純粋な「道具」としての側面が強いものでした。


■貴族や僧侶の履物へ ―平安時代~鎌倉時代―

この時代になると、下駄は徐々に貴族や僧侶の間で使われるようになります。地面の泥や汚れから高価な衣装を守るため、高さのある履物が必要とされました。まだ一般庶民に普及するものではなく、特権階級の履物という位置づけでした。

■“平和”と“心のゆとり”が文化を育てる ―室町時代~江戸時代―

戦乱の世が落ち着き、平和が訪れると人々の暮らしに余裕が生まれます。
そして下駄が最も発展し、文化として花開いたのが江戸時代です。

商業、都市文化が発展したことで、下駄は武士から町人まで、老若男女問わず誰もが履く日常的な履物となりました。実用品からお洒落や自己表現の手段へと進化し、鼻緒や台の素材・色柄・形にこだわることで「粋」や「伊達」を演出し、季節感や個性を楽しむアイテムに。種類も多様化し、雨の日の「高下駄」、普段使いの「日和下駄」、舞妓さんの「ぽっくり下駄」など、用途に応じて多彩に発展しました。


この発展とともに、下駄を作る「下駄職人」や、鼻緒を作る「鼻緒職人」が現れ職人の分業化も進みました。
精巧な木工や織物技術も磨かれ、下駄は美意識と技術が融合した工芸品へと進化していきました。

■下駄の進化は、終わらない。次の100年を見据えて。

歴史が示すように、下駄は日本の自然と調和し、平和な時代にこそ人々の創造性によって育まれた文化と職人技が詰まった履物です。先人たちの知恵と美意識が息づく下駄は、ただの履物ではなく、平和の象徴ともいえる日本の美しい文化だと感じています。



次回に続く