第二話
mizutoriのはじまり
「mizutori」を展開する水鳥工業が産声を上げた昭和初期。

今話題のNHK朝ドラ『あんぱん』の舞台とも重なるこの時代、人々の足元を彩っていたのは紛れもなく下駄や雪駄でした。
静岡は広島、大分と並ぶ下駄の三大産地の一つとして栄え、水鳥工業も創業当時は伝統的な和下駄の木地(木製の土台部分)加工販売を生業としていました。
静岡では昔から地域全体で分業制でのものづくりをしていたため、周辺には鼻緒加工や鼻緒挿げなど、下駄に関連する仕事をする家がたくさんありました。

しかし、時代の移り変わりと共に、履物の主役は下駄からサンダル、そして靴へと変遷。この大きな波に対応すべく、水鳥工業はサンダルの天板や靴の中底加工へと事業の軸足を移しました。
履き心地を左右する重要なパーツである靴の中底加工は、2023年まで続けていました。静岡が下駄をはじめとする履物製造を地場産業として発展してきた歴史の中で、水鳥工業は常に時代の変化に対応し続けてきました。

転機が訪れたのは1980年代後半。
安価な海外製品の台頭により、材料屋としての仕事は厳しい価格競争に晒されます。
この逆境を打破すべく、平成元年頃から「他ではやっていないこと」を模索し始めました。そして辿り着いたのが、原点である下駄木地の生産でした。
しかし、それは単なる回帰ではありません。長年培ってきたサンダルや靴の中底づくりの技術、つまり「足裏にフィットし、心地よく履ける」ノウハウを注ぎ込み、これまでの下駄の概念を覆すような、足に優しい下駄木地の開発に着手したのです。

当初は、開発した下駄木地を材料として他のメーカーに販売する予定でした。
しかし、当時の履物業界は化学製品が主流。木製材料の温もりや可能性を積極的に採用しようというメーカーは現れませんでした。
「ならば、自分たちで」――周囲からの後押しもあり、水鳥工業は自社で完成品まで手掛けるメーカーへの道を歩み始めます。
こうして「mizutori」の代表作「げた物語」の開発がスタートしたのです。
次回へ続く