第五十七話
言葉の中に残る下駄
「下駄を預ける」
「下駄を履かせる」
「勝負は下駄を履くまで分からない」
「高下駄を履く」
こんな言葉を、
一度は耳にしたことがある方も
多いのではないでしょうか。
では、
「下駄の雪」
「下駄の歯で旅をする」
この二つの意味は
ご存じでしょうか。
実は、日本語には
下駄にまつわる言葉や慣用句が
たくさん残っています。
それだけ昔の日本では、
下駄が暮らしの中で
身近な存在だったということなのでしょう。
まず、
「下駄を預ける」。
これは、
物事を相手に一任すること。
下駄を預けてしまえば、
自分では自由に動けません。
そこから、
安心してすべてを任せるという意味で
使われるようになったと言われています。
次に、
「下駄を履かせる」。
これは、
数字や評価を少し上乗せすること。
下駄を履けば、
実際より背が高く見えます。
そこから、
実際より良く見せたり、
多く見せたりする意味になりました。
「高下駄を履く」
という言葉もあります。
昔の高下駄は、
普通の下駄より歯が高く、
履けば自然と目線も高くなります。
そこから、
実力以上に自分を大きく見せたり、
実際以上に立派に見せたりすることを
表すようになりました。
そして、
「勝負は下駄を履くまで分からない」。
スポーツ中継でも
今なお耳にする言葉です。
最後まで勝敗は分からない。
そんな意味ですが、
実はこの言葉の由来には
諸説あるそうです。
「帰るために下駄を履くまで、
勝負は終わらない」
そんな考え方から
生まれたとも言われています。
さて、
ここで問題です。
「下駄の雪」
とは、
どんな意味でしょう。
正解は・・・
「人の後について離れない人」
雪道を歩くと、
下駄の裏に雪がくっついて、
なかなか落ちません。
その様子から生まれた
たとえです。
最後にもう一つ。
「下駄の歯で旅をする」
これは、
現在ではあまり耳にしない言葉ですが、
よく歩き回ること。
という意味があります。
昔は旅でも、
下駄を履いて歩くことは
決して珍しくありませんでした。
長い道のりを歩けば、
下駄の歯も少しずつ減っていきます。
そんな昔の旅人の姿が
目に浮かぶような言葉です。
こうして見てみると、
下駄は単なる履物ではなく、
日本人の暮らしそのものだったことが
よく分かります。
毎日の暮らしの中で履かれ、
人に預けることもあれば、
旅にも出かけ、
雪道も歩く。
今では、
下駄というと
浴衣や夏祭りを思い浮かべる方が
多いかもしれません。
けれど、
「下駄の雪」という言葉が残っているように、
昔は季節を問わず、
雪の日にも履かれていた
生活の履物でした。
だからこそ、
これほど多くの言葉が
今も日本語の中に残っているのでしょう。
言葉は、
その時代の暮らしを映す鏡だと言われます。
下駄にまつわる言葉が
今も使われ続けているのは、
下駄が日本人の暮らしに、
それほど深く寄り添ってきた証なのかもしれません。
私たちも、
そんな文化を未来へつなぐ一人として、
特別な日だけでなく、
旅先でも、
普段のお出かけでも、
「今日は下駄で歩いてみよう。」
そんな日常が少しずつ増えていけば、
下駄はこれからも
日本語の中だけではなく、
私たちの暮らしの中にも
生き続けていくはずです。
そのお手伝いができるよう、
私たちはこれからも
人々の暮らしの中で親しまれる下駄をつくり続け、
下駄文化を未来へつないでいきたいと思います。













